ある日の帰り道。


大勢があつまってわいわい楽しく騒ぐ、という経験が30年の人生で皆無だったためか、折角そういう場に招待していただいてもどうも狼狽するばかりで、初対面の人たちともうまく話すことができず、作り笑顔は露骨に引きつり、気分は盛り上がる会場とは反比例してどこまでも沈んでいき、「いい歳して、僕には社会人としての最低限度のコミュニケーション能力も無いのだ・・・」と涙目でドアガラス越しに流れ行く景色を見ながら帰路に着く午前零時に思う事。


 どうして自分は普通に人と接することができないのか。

 普通に接する必要、ある?

 ある。

 そもそも普通ってなに?

 大人数が苦手で少人数が好き。それでよくない?

 いい大人が、そんな子供じみたこと言うな。

 いい歳して、とか、いい大人が、とか、そういう言葉に縛られてるだけのような?

 しかし、何故彼らと自分はこれほどまでに、

 それは単に隣の芝生。

 お前はお前だろ。

 うるさい、だまれ!

 「楽しい」ってなんだろう。どういう感情を指すんだろう。

 さあ?見当もつかない。


様々な問答が脳内に響くうちに武蔵小金井駅に電車が止まる。満員電車から開放されたはずの身体が重い。引きずるように階段を下る。冷たい風が頬を刺す。

いつもそうなんだけれど、「自分には価値が無い」と思い始めると本当にとめどなく気分は落ち込み、まもなく「生きる価値もない」と思うに至る。こういう思考回路というのは理屈や教育で正されるものではなく、もって生まれたもののように思う。そして多くの場合、第三者の「命は大切にしなきゃ」という手垢の付いたステレオタイプな慰め言葉などは全くその効果を発揮せず、ただただ、精神に一抹の安寧が戻るまで時が過ぎるのを黙って待つしかない。よって大切なのはこうした負のバイオリズムを意識することであり、定期的に襲ってくるこれらの弱くない消滅願望をうまく飼いならしていくということが必要なのだ。

落ち込んでいるときは、過去の失敗をやたらと思い出す。普段悪い記憶力が異常な力を発揮して負の記憶を呼び覚ます。怒声の一言一句さえ、今聴いたばかりのように鮮明に響く。眼前に蘇る羞恥の記憶。「わああ!」と声を上げて転げまわりたくなる衝動。思わず左手で頬を打つ。道に立つ警官がジロリと睨む。今夜はやたらと警官が多い。やたら太くて長い棒を持ってる。あれで狼藉者を殴るのだろうか?骨まで砕けそうだ。少し先に千鳥足の中年。ああはなりたくない。なりたくない。

折角誘ってくれた人に、申し訳ない気持ちで一杯になる。ひたすら醜いローテンションな自分を晒してしまった。次また誘ってくれるかな?誘われて行って、僕は同じことをくりかえさないだろうか?「大人数はちょっと・・・少人数なら参加します」とでも言うか?

脳の疲れを実感しながらドアを開ける。暗い部屋が僕を迎える。着た物を脱ぎ捨ててベッドに横たわる。今日のことは忘れたい。昨日のことも忘れたい。今年起こったことなど、全部忘れてしまいたい。とりとめもなく呟いて、毛布を被る25時。

薄れる意識の中で思う。忘年会とは、よくいったものだな、と。

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榎本よしたか

Author:榎本よしたか
フリーランスのイラストレーター兼法廷画家です。書籍やテレビ番組用に絵を描いています。アコースティックギターと歴史雑学が好きです。

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