【日記】横浜であるおばあさんの戦争体験を聞いたお話。


ぷかり桟橋

7月18日、宇宙精密画家の岩崎賀都彰さん操艇のクルーザーに
家族で乗せて頂く機会を頂いて横浜の花火を見に行きました。

クルーザー

出港はぷかり桟橋から。
かれこれ4度目です、毎度お世話になっております。

yokohama.jpg

みなとみらいの夜景を海上から堪能。この風景は完成されていてとても良いと思います。
船上であるおばあさんと親しくさせて頂いたのですが、彼女曰く
「娘さん今いくつ?三歳?そう。小さいけど、記憶はハッキリ残るから大切にしてあげてね」とのこと。

「私は5歳の頃のことでも昨日のように覚えているのよ。あれは終戦前の年でね、
私は満州に生まれて当時は大連に住んでいたんだけど、本土に戻る時、
アメリカの魚雷にやられたのよ。船首に当たったからすぐに沈没しなかったけど、
真ん中に当たってたら絶対死んでいたわね。
私達が乗っていたのは大きい船だったけど逆さまになってゆっくり沈んでいったのよ」

という衝撃的な体験談を聞きました。
タイタニックを彷彿せざるを得ないお話です・・・。

「皆、慌てていてね、吊るされた救命艇がぐらんぐらんに揺れていたけど、
母はそこに私を投げ入れてくれたので助かったの。
それから「渦にまきこまれるから死ぬまで漕げ!」って大人たちが怒鳴っていたわ。
無人島に辿り着いた人たちはみんな凍死したみたい。
私達は何日も漂流して、運良く救助されたの。

船が見えたからおおいおおいと皆で手を振ってね。
けど、その船の船長は「女子供なんか助けてもお国のためにならない」って、
最初は拒否されちゃったのよ。酷いでしょう。
けど若い船員が「僕は助けます!」って言って助けてくれて、
船長もしぶしぶ受け入れてくれたの。
あの若者には感謝しているわ。じゃなきゃ死んでるもの。

日本の軍艦が魚雷にやられたのも見たわ。姉が双眼鏡を貸してくれて覗いたら、
兵隊さんたちが本土に向かって敬礼していたのよ。何人も。
船が沈んでいくのに、ピシっと敬礼していたのよ!」

そう語るおばあさんは本当に昨日のことを話しているかのように見えました。

「大連ではレンガ造りの家に暮らしていたからね、本土では神戸に落ち着いたんだけど、
日本の木造の家が貧弱に思えたわ。風が吹いたら壊れるんじゃないかと思ったくらい。
便所も水洗じゃなくてびっくりした。大蓮では当時から水洗だったのよ」

等々、非常に興味深い話だったのであれこれと質問しながら小一時間ほど聴いていました。

体験が強烈だったからでしょうが、71年前の話を昨日のことのように語るおばあさんを見て、
娘には絶対にこんな悲惨な体験はしてほしくないなと感じました。
終始ニコニコして娘の頭を何度も撫でてくれたおばあさん。
たまたま隣あわせになっただけだから、もう会うことはないでしょうが、どうかお元気でいてほしい。

花火

船出から1時間後の19:30、花火が始まりました。
娘を膝にのせ、放たれた2000発をデッキの上で堪能しました。
幼児向けの救命胴衣も用意してくださっていて助かりました。
セウォル号以来、船の装備には大変厳しくなったと聞きました。

クルーザー帰り

そして桟橋へ帰港。
今回岩崎さんとはほとんどお話できませんでしたが、お元気そうでなによりでした。
御年80歳、実にパワフルなお方です。
今回もありがとうございました。家族のよい夏の思い出ができました。

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榎本よしたか

Author:榎本よしたか
フリーランスのイラストレーター兼法廷画家です。書籍やテレビ番組用に絵を描いています。アコースティックギターと歴史雑学が好きです。

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